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ロンシャンの大地はひんやりとしていて、それでいて温かい。木陰に揺れる露草 はその感触を背中に刻んで、シャツの下にある微温をその場所へと順化させる。 夕刻の木立は西日を受けて青緑色の陰をつくり、濁りのない青を明確に切り取る 。そんな森閑とした空気感の中で、自分の定点をようやく思い出したような気が した。


東京にきてからしばらくの間は、絵を描くことすら忘れていた。繰り返す日々に 違和感を感じながらも、それをうやむやにしながら淡々と生きる自分がいた。誰 かが造り出した成功のイメージに支配された状態では、視界の定点は与えられた ものに過ぎない。与えられた視界に慣れてくると、徐々にそれが自分のもののよ うに思えてくる。その視界に順応すればするほど、自分は誰なのかすら分からな くなる。そんな悪循環を変える契機となったのは、文章と絵だった。


絵を描くこと、文章を書くことは、観ることとよく似ている。たとえそれが遠い 地のものであっても、描いた場所のことは隅々まで思いを巡らすことができる。 たとえ長い時間を隔てていても、書いて考察したことは心の中に残っている。そ れはきっと、紙を通して心にも描いているからだと思う。


ロンシャンを最初に訪れた時、その門は閉ざされていた。広域のロードマップには記載されていないので、道行く人々に尋ねながら、ゆっくりとその地を目指した。やがて小さな山の上に白い建物を見つけたとき、同乗していた皆の呼吸が一つになった。丘の上までくると、街が一望できる。教会を中心に石造りの民家が群れをなして、街全体が呼吸しているように見えた。駐車場の後ろには小さな森があり、門を潜れなかった僕らはそこへ倒れ込んで大地とともに呼吸した。





ロンシャンからしばらくいったところにある(パリではないくせして)ホテルパリスにチェックインして、ベッドに潜り込む。何度もイメージを反復しているうちに目が冴えてしまったので中庭に出ると、雲間から顔をのぞかせている月がとても綺麗。これなら雨の心配もないだろう。煙草を何本か吸った後、部屋へ戻った。目が覚めて外に出てみると、空には雲一つない。朝の通りを歩くと巨大な清掃車が石造りの道に水を撒いている。人通りのない朝の街、なんだか穏やかな気持ちになった。


再びロンシャンへと向かい、門をくぐる。砲撃によって破壊された教会の残骸を越えて、スロープを上る。なかなか教会は見えてこない。なんて日本的な感覚なのだろう。


最初に見えるのは、あまり写真ではなじみのない角度。青々とした草木の中に、たんぽぽの花が生えている。空は突き抜けるように青い。隣にいた白人の女の子と目が合うと、彼女は胸に手を当てて微笑んだ。この場所では、言葉を介すことなく感情が伝わる。「なぜこんなにも尊いのだろうか」と。女の子は小さな声で何かを囁きながら、少し涙ぐんでいるように見えた。


| ふらんす | 19:36 | comments(0) | trackbacks(0)
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