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初めて見たコルビュジェの建築はポアジのサヴォア邸だった。ポアジはパリ郊外に位置する、都会の喧騒を忘れさせてくれるような静かな街。ゆったりとしたセーヌ川に合わせて、街全体が呼吸しているように見える。宿泊したユースのスタッフものんびりしたいい人で、飛行機が遅れて夜中の1時過ぎに到着した一行を嫌な顔一つせずに迎え入れてくれた。


ここのユースのスタッフはみんな英語がペラペラで、パリ市内と比べてだいぶラクだった。同い年くらいの女の子のスタッフがいて、色々と話すうちに少し仲良くなった。中心街と違ってあまり日本人の姿は見かけられないらしい。日本人のイメージを聞くと、「日本人はみんなカメラばかりで、変だよー」とお決まりの答えが返ってきた。美術館なんかでも平気でビデオカメラの撮影をしているのは白人ばかりだったように思うけれど。


狭い2段ベッドに転がり込んだのが3時過ぎ、けれども何故だか5時過ぎには目が醒めてしまう。疲れもなく、妙に清々しさだけが残る。朝食まで間があるのでスケッチブックを片手にユースを出ると、朝靄が残るしっとりとした空気の中にぼんやりと霞む貨物船が見えた。露草を踏む度に小気味よい音を奏でる靴や、年月を吸い込んだ石造りの階段、青を染めるうろこ雲がしっとりと体の中に染み入る。





朝食を終え、フランスでパフォーミングアートをしているエディットさんの車でサヴォア邸に向かう。朝の光を吸い込んだポアジの街は透き通るような白で、その淡い色彩は瞼の裏に焼き付いて離れようとしない。その町の静けさを一点に集めたような住宅地の中に、サヴォア低はあった。入口からは長いスロープが続いて、背の高い木立が目隠しをしている。建物に近づくにつれて木々はまばらになり、自然と光量が増してゆく。だんだんと、木漏れ日の中に浮かび上がる白い立方体。それは何度も見た本の中にあったものとは違う、写真には写らない存在感を纏っていた。


美しいもの、圧倒的なものは、意識の中に投影されるのに時間がかかる。それが不完全な状態でスクリーンの中に収めても、結局それは箱の中の世界。自分の目では何も見た事にならないのだと思う。だから撮った写真も何か虚しい。フレームの中にあるサヴォアに実態は無く、それは世界に何万と転がるただのコピーだった。


何度も修復を繰り返し、街の空気を吸い込んできた建築。それは年月と共に街に融けて、そこにある必然性を帯びていた。大地に融けこむように意図して設計された意匠は、年月の力を借りてコルビュジェの創造をも超えた場所まで歩き出しているのかもしれない。
| ふらんす | 14:10 | comments(0) | trackbacks(0)
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